2006年7月19日 (水)

全英オープン到着!

 第135回全英オープンの開催地、ロイヤル・リバプールGCにやって来ました。ここはリバプールのダウンタウンから西に直線で10Kmちょっと離れたホイレークという町にある、アイルランド海に面したリンクスです。全英オープンは1967年以来、39年ぶり11回目の開催ですが、私が大会で訪れるのはこれが初めてです。ただし、視察では以前に訪れたことがあります。そのときの印象は……、正直それほどでもありませんでした。ところが今回改めてコースを見てみると、やはりジ・オープンに相応しい風格のあるリンクスです。ただ、このところ全く雨が降らず、しかも連日30度を越える暑さで、フェアウェィが硬く、ティショットが50-60ヤードもランします。TV画面で見ると芝は茶色、グリーンもまだらになっているのがおわかりでしょう。それでもミケルソンもウッズも早めに到着し、練習に余念がありません。

ここで全英オープンは過去10回開催されていますが、歴代優勝者には1924年大会のウォルター・ヘーゲン、1956年大会で大会3連覇を成し遂げたピーター・トムソンといった名選手の名前が並んでいます。しかし、特筆すべきは何と言っても1930年大会のボビー・ジョーンズでしょう。そう、ボビー・ジョーンズがアメリカとイギリスのナショナルオープンタイトル――つまり全米オープン、全米アマチュア、全英オープン、全英アマチュア――を史上初めて同一年にすべて制覇し、“グランドスラム”と賞賛された年の舞台が、ここロイヤル・リパプールだったのです。

その歴史あるリンクスで過去38年間も全英オープンが開催されなかった一番の理由は敷地が狭いことでした。連日2万~3万人もの大ギャラリーや大会関係者が押し寄せる現在の全英オープンには、敷地が手狭だったのです。ギャラリーの安全で快適な観戦、休憩、移動のため、大会スポンサーが招待客のために用意する大掛かりなホスピタリティ・テント開設のため、そして世界中からやってくるメディアのため、今の全英オープンには広いスペースが必要です。しかし、その問題も6年前、隣接する10エーカー(4万平方メートル余り)の土地が売りに出され、かねてから全英オープン招致を願っていた同GCが購入したことで一気に解決したのです。39年ぶりの全英オープン、おそらくリバプールの街から連日大勢のギャラリーが押し寄せ、熱気にあふれることでしょう。その模様は是非ともテレビでご覧ください。

ところで、今でこそ「メジャー・トーナメント」といえば、マスターズ、全米オープン、全英オープン、そして全米プロと一般に認識されていますが、前述のボビー・ジョーンズの“グランドスラム”の話からも分るよう、1930年代初めまでは、一般に「メジャー」といえば両ゴルフ協会主催の公式戦と考えられていました。だからこそ、それを同一年に全制覇したボビー・ジョーンズの偉業に対しては、ニューヨーク・マンハッタンでパレードが挙行されるほどの賞賛の嵐となったのです。ところが、そのボビー・ジョーンズがグランドスラムを達成し、「競技ゴルフで遣り残したことはない」と引退すると、アマチュアゴルフ界は実力も人気・注目度も一気に低下、ファンの目はプロに集まるようになりました。でも、当時はまだ「4大メジャー」という概念は生まれていません。

そのボビー・ジョーンズが中心になって彼の故郷ジョージア州にオーガスタ・ナショナルGCを造成。そして1934年に、そこを舞台に世界中の強豪を招待して「オーガスタ・インビテーショナル」というトーナメントを創設しました。でもそれは、一プライベートクラブが主催する招待競技であり、世間は特別なトーナメントととらえていませんでした。ところが、翌35年の第2回大会を機に大会に寄せる目が一変したのです。最終日15番ホール、ジーン・サラゼンがダブルイーグル(アルバトロス)という奇跡的なショットで先行するクレイグ・ウッドに追いつき、さらに翌日のプレーオフで見事な勝利を収めたのでした。すると、これに全米のメディアが大興奮。既に全米オープン、全米プロ、全英オープンのタイトルを手にしていたサラゼンの勝利を新たな“グランドスラム”の達成と絶賛しました。そして、これをきっかけに同大会は世界中のマスター(名手)たちが覇を競う華やかな大会と認知され、正式に「マスターズ・トーナメント」と名乗ることになったのです。以来、「メジャー・トーナメント」といえばこの4大会を指すようになったのですが、それはUSGAR&A、あるいはPGAツアーが定めたことではありません。「メジャー」の公的な規定はどこにもないのです。また、その後PGAツアーが4大大会以上の高額賞金競技や厳しい出場資格のトーナメントを創設しましたが、それを誰も「メジャー」とは言いません。「メジャー」とは規定や「決め事」ではないのです。結局、メジャーをメジャーたらしめているのは伝統であり、主催者の大会にかける情熱や信念、つまり大会に込めた“思い”の深さなのでしょう。マスターズには、ボビー・ジョーンズから引き継いだゴルフに対する信念があり、全米オープンには全米オープンの厳格な伝統と信念がある。そして、この全英オープンにはゴルフのオリジンであるリンクスを舞台に、世界中の競技者に門戸を開き続けてきたという伝統と誇りがあるのです。そして、その信念に呼応して、選手たちもこのタイトル奪取に情熱を燃やすから、世界中が敬意とともに「メジャー」と認めているのでしょう。

さて、第135回ジ・オープンが間もなく開幕します。この大会をメジャーたらしめている伝統と“思い”の深さに触れてみてください。

2006年7月19日 (水)|固定リンク

2006年7月18日 (火)

文化放送

関東地方にお住まいの方にはラジオで聴いていただけるのですが、私は毎週土曜日の早朝、文化放送で『戸張捷・松井功のモーニングゴルフ』という番組を担当しています。といっても、松井プロ――というべきか、会長(日本プロゴルフ協会)というべきか――と、コンビで掛け合いトークをしているわけではなく、2部構成になっていて、私のコーナーはモノローグ、一方松井プロは藤木千穂さんという素敵な女子アナウンサーにゴルフを教えて、感心されるという羨ましい構成になっています。私のコーナーは、タイトルを何度か変えながらも、なんと35年も続いている文化放送でも長寿番組のひとつなのです。

文化放送は1952年(昭和27年)に、キリスト教の宗教法人の申請により開局した、東京で2番目の民間ラジオ局で、実は局舎の一部はチャーチ、教会になっています。当然、放送の内容もキリスト教の普及を目的にしたもののほか、文化・教養・芸術番組を中心にスタートしました。その後『赤尾の豆単』でおなじみの(といっても、果たして今やどれくらいの方が知っているのでしょう)旺文社が大株主となり、教育番組が加わるなどしたため、今でも"文化色が濃い"というイメージのあるラジオ局です。その一方で、文化放送からは亡くなられた土居まさるさんや、今や連日テレビに映らない日はない、みのもんたさんを始め、落合恵子さん、吉田照美さん、梶原しげるさんといった多士済々のタレントアナウンサーが輩出。また、深夜放送の名物番組『セイ! ヤング』では、私の古くからの友人でもある歌手(元アリス)の谷村新司さんが担当し、爆発的な人気を博したことがありました。とにかく、硬軟織り交ぜてとてもユニークなラジオ局です。

 その文化放送での収録が先週、新宿区四ツ谷の局舎でありました。私がまもなく、全英オープンで渡英するため、今回は7月22日放送分まで収録することになりました。実は、文化放送は24日から浜松町の駅前に新しく建てられた、新社屋からの放送になります。ですから、私の番組も四ツ谷からの放送はこの22日が最後になります。そのため、今回はちょっとノスタルジックに、番組が始まった35年前のことを思い出しながらの内容になりました。その話がちょっと面白いと思われるのでここで一部をご紹介しましょう。全部聴きたいという人は22日午前6時25分からオンエアされる私のプログラム(1134)にチューニングを合わせてください。
 もともとこの番組は、プロ野球の名選手だった"ベーやん"こと、別所毅彦さんがホスト役の『ベーやんのゴルフジョッキー』の一コーナーとしてスタートしました。当時、私は26歳のダンロップ(住友ゴム工業)の一社員でした。その私のもとに、文化放送のディレクターがやってきて、「戸張さんには、この番組のこのコーナーを用意していますからお願いします」ってオファーがきたのです。当時は――青木功はまだ世に出る前、雌伏の時代でしたが――ちょうどジャンボ尾崎が飛ぶ鳥を落とす勢いでツアーを席巻していた時代で、ゴルフの本格的な大衆化が始まろうとするころ。また、海外からはジャック・ニクラウスやアーノルド・パーマーといったスーパースターの活躍のニュースが次々と飛び込んできて、一般のゴルフに対する注目が高まってきたころでした。それでもゴルフのレギュラー番組を作ったラジオ局は他になく、26歳の私の起用といい、文化放送は実に思い切ったことをする局のようです。
 そこで私が担当することになったコーナーのタイトルですが――これが、思い出すだに、顔が赤らむタイトル名で……。実際、収録のときには口にするや「いやぁ、何とかいえましたね」という言葉がこぼれたほどでした。
『世界のハンサムボーイ 戸張捷のゴルフ万歳!』
 今また、顔が赤らんでいます。
 それから延々35年。別所さんが本業のプロ野球の解説等で多忙になられたために番組を降板された後も、私のコーナーだけはずっと続いてきました。文化放送も、止めるに止められないのでしょうか? コマーシャルの提供が付かない時期も、ゴルフの人気が下火になった時期も、ずっとこのゴルフ番組を続けてくれたことには感謝の念にたえません。というのも、私のコーナーは5分弱の短いプログラムですが、ツアーの話題や人気選手のトピックスを取り上げるだけではなく、ゴルフの歴史や勝負の中で見えた人間ドラマ、プロゴルファーの人間性が垣間見える逸話など、ゴルフにまつわる文化やドラマを語ることができるからです。それで、少しでもゴルフに興味を持ってくれるリスナーが増えればうれしいと思っています。ただし、早朝の番組ですから、話の中身は、どちらかというと聴いてホッとする、あるいはゴルファーであることを誇りに思えるような、いわゆる"いい話"をするようにしています。リスナーにはゴルフ場に向かう車の中で聴いているという人が多いのですから、ゴルフの暗い話は避けたいもの。実はそのため、最近は国内男子ツアーを話題にする機会がめっきり減って……。ここはひとつ、松井会長にも頑張ってもらうしかないでしょう。

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2006年7月18日 (火)|固定リンク

2006年7月17日 (月)

全米女子オープン回顧!


はい!戸張捷です。日本に帰ってきました。日本は梅雨の最中で蒸し暑いですね。ゴルフをプレーするにはちょっとつらい季節かな?でもゴルフは自然との戦いでもあるのです。どんな天気でもめげずにゴルフを楽しみましょう。
今日は、先日終わった「全米女子オープン」についてもう少しお話しましょう。
1946年に(女子プロゴルフ協会主催で)第1回大会が開催され、全米ゴルフ協会が正式に主催をスタートしたのは1953年ですが、全米女子オープンは、今年で第61回目の大会でした。
開催コースは、ロードアイランド州にある"ニューポートカントリークラブ"。
このコースはテレビでご覧いただいた方には、「えつ?アメリカなの?全英じゃないの?」と勘違いしてしまうほどのリンクスタイプのコースでした。実はここのコースはかなり歴史のある名門コースなのです。実は男子の全米オープンの第1回大会が開催されたコースなのです。また、何度かのUSGAのチャンピオンシップも開催しており、1995年には、まだアマチュアだった、あのT.ウッズが全米アマを連覇したコースなんです。
アメリカの東海岸に位置し、ニューヨークから東へ約3時間。ボストンからも2時間という風光明媚な大西洋に面した静かな町にあります。
リンクス特有の重い風とコース内の微妙なアンジュレーションはまさに英国調のリンクスコースです。そこで今年の全米女子オープンは開催されたのです。結果はもうお伝えしましたが、プレーオフの結果、A.ソレンスタムの優勝でした。A.ソレンスタムは、スウエーデンのストックホルム出身の35歳です。スゥエーデンではゴルフのジュニア育成プログラムがしっかりと確立しており、アニカもその中で育った一人でした。1988年、アニカがまだ高校生のころ、同じ町のリサロッテ ノイマンが全米女子オープンに優勝し、それに感動したのを鮮明に覚えているそうです。高校卒業後は渡米してアリゾナ州立大に入り、そこでめきめきとゴルフの腕を上げていきました。全米の学生の試合やアマチュアのトーナメントで活躍し、1994年にプロデビューしました。しかし、その頃は、まだ線の細い、強いけれど、かわいい子だなあという印象のプロでした。日本で開催されていたUSLPGAの東レジャパンクラシック(現ミズノクラシック)には補欠で来日しており、アメリカのツアーのトーナメントディレクターに「彼女はなかなかビジュアルがいいけど、ゴルフはどうなの?」と聞いたのを覚えています。しかしまだプレーのほうはそんなに目立つ存在ではありませんでした。1994年にプロデビューした彼女は順調にキャリアを重ね、
通産69勝。メジャー10勝の名実ともに世界ナンバーワンのプレイヤーになっています。
3年前に彼女は、男子ツアーに出場しました。それは、大会サイドが彼女の人気にあやかりたいとか、彼女が話題作りをしたいと言った理由でなく、世界一強い女子プロゴルファーとして世界最高峰の男子ツアーに出場し、自分の技術を確かめてみたいという素直な気持ちからの出場でした。このニュースは世界中を駆け巡り、大きな話題を呼びました。つまらぬ中傷もありましたが、彼女は精一杯のプレーをし結果は、惜しくも予選通過ならずでした。私は彼女のこの挑戦には拍手を送りたいと思いました。ゴルファーとしてのプライドをかけた彼女のこの挑戦は、素晴らしいものだったのではないでしょうか?もちろん、彼女が世界ナンバーワンだったからこそ、この挑戦には価値があると思いますが・・・

今年の全米女子オープンでは、岡本綾子さんとご一緒させていただいたので、私はマイクを持って、コースに出てレポートをしました。実際にコースを歩くことで、リンクス特有の風や気象条件を肌で感じることができ、また、放送席にいる岡本さんと良い感じで掛け合いすることができたと思います。
私は、J.インクスターという選手に注目していました。結果は+3で6位でしたが、決勝ラウンドは彼女が来るのでは?と思ったくらいです。(予想ははずれましたが・・・)
インクスターは、今年で46歳になる2児の母親でもあるのです。前回、若手が台頭してきているって言いながらも・・・(笑)
1983年にプロ入りした彼女は、現在までにメジャー7勝を含む、通算30勝をあげており、もちろん殿堂入りをしていりプレイヤーです。今回のような「我慢」を強いられるトーナメントでは、彼女の経験とか精神力がものを言うのでは?と思ったのです。
それに今年のツアーでも1勝をあげており、彼女が来る!と強く思ったんですけど・・・
彼女はアメリカでも大変、人気のある選手です。二人の子供を育て、なおかつプロゴルファーとしていまだに第一線で活躍している姿は、アメリカのゴルフファンにも感動を与えるのでしょう。やはりプロゴルファーは「感動を与える」プレーをしてもらいたいですね。
それにしても今年の全米オープン・全米女子オープンはとても思い出に残るトーナメントでした。次のメジャーは全英です。それまでは日本のトーナメントの仕事もしなければ・・・
さあ、今日もゴルフ場へいってきます。

2006年7月17日 (月)|固定リンク

2006年7月 4日 (火)

宮里藍ちゃんについて

こんにちは!戸張捷です。ゴルフ楽しんでますか?3週間のアメリカ出張を終えそろそろ帰国します。先週の全米女子オープンは見ていただけましたか?今年は初日の濃霧中止で最終日が36ホールの過酷な決勝ラウンドとなりました。72ホールを終え、A.ソレンスタムとP.ハーストがEVENで並び、月曜日に18ホールのプレーオフとなりました。そして、プレーオフの結果は・・・A.ソレンスタムの勝利で第61回の全米女子オープンは幕を閉じたのでした。本当にタフな長い一週間でした。日本の宮里藍はパットの不調に悩みながら28位タイ(+14)。不動裕理は、46位タイ(+17)という結果に終わりました。二人ともタフなコースに苦労しながらがんばったと思いますよ。お疲れ様でした。それにしても今の女子ゴルフの世界は若手の活躍が目立ちます。優勝したアニカやプレーオフを戦ったP.ハーストは30歳代ですが、M.ウィー(16歳)はじめ、ガルビス(23歳)、プレッセル(18歳)、オチョア(24歳)、P.クリーマー(19歳)などなど・・・また、韓国の若手選手が続々登場しています。ひとつにはそれぞれの国でのジュニアゴルファー育成プログラムが成功してきているんだと思います。もちろん、日本の宮里・横峯なども日本のジュニアプログラムから育ってきたわけですが、やはりゴルファーを育てる環境だったり、プログラムだったりは非常に重要なんですね。この辺はまた詳しくお話していきたいと思います。

日本ではワールドカップサッカー一色だったようですが、ゴルフはベストシーズン。残念ながら決勝トーナメントに進めなかった日本チームには4年後に期待して、これからはもっとゴルフを楽しみましょう。

宮里藍ちゃん(もう宮里さんと呼ばなければ失礼かな?)について今回はお話しましょう。彼女とは彼女がまだアマチュアとしてトーナメントに出場しはじめたころからのお付き合いです。5年ほど前、私がプロデュースをしているトーナメントで、これからのトーナメントには元気のある若いアマチュアにもトーナメント出場のチャンスを与え、よりスキルアップしてもらいたい。トーナメント自体のレベルアップも図りたいという思いから主催者の同意を得て若いアマチュアプレイヤーを出場させることになりました。そこに選ばれたのが宮里藍でした。そしてそのトーナメントで彼女は14歳11ヶ月で見事予選を通過。アマチュアの最年少の予選通過記録だったのです。沖縄県出身で真っ黒に日焼けした明るい笑顔と真っ白な歯が印象的な女の子でした。トーナメントのプロデューサーという立場とゴルフキャスターという立場から、テレビ局に「予選を通過したんだから、彼女をゴルフ中継に呼ぼう!」という話をしたところ、当時のテレビ局のKディレクターは、あわてて「えっ?中学生ですよ?大丈夫ですか?」と目を丸くしておりました。私は、例え中学生であろうと出場しているアマチュア選手には変わりは無く、予選通過の最年少記録を作った子なのだから、番組に出てもらい、多くのゴルフファンにも彼女の存在を知ってもらいたいという気持ちもありました。悩むKディレクターを尻目に彼女に出演交渉。すると藍ちゃんは「父に聞いてみます。私でよいのですか?」という、中学生の女の子とは思えないしっかりした態度で答えてくれました。

そして、番組出演。緊張する感じもなく自然体で放送席に来てくれた彼女はとても楽しそうでした。一緒に番組をやっていたアナウンサーが藍ちゃんに「ところで今日はどんな感じでしたか?」という質問をしたところ、藍ちゃんは「それは、ゴルフのプレーについてですか?体調についてですか?」ときりっとした顔で聞いていました。聞き返されたアナウンサーは「うっ!」と詰まってしどろもどろ。中途半端は質問は厳禁ですよ!(笑)

こうした彼女のしっかりした態度や振る舞いだけでなく、もちろんキレのあるプレーにも私は底知れぬ期待をしたものでした。その後の彼女の活躍はもうみなさんもご存知の通り。
実は彼女のプロデビュー戦(2003年伊藤園レディース)は、私がプロデュースをさせていただいているトーナメントの一つでした。マスコミ含めて大きな騒ぎが予想されていただけに主催者の方のご理解を得て、万全の体制で臨みました。彼女が大会の始まる週の月曜日の夜に会場である、グレートアイランド倶楽部に到着したとき、私も彼女を出迎え夕食をご一緒させていただきました。コーチであるお父さんとご一緒だったのですが、藍ちゃんに「何か食べたいものはある?」と聞くと即座に「焼肉食べたいです!」と明るい笑顔で答えてくれました。もじもじすることなどなく、はきはきとした態度、それもプロデビューを前にこの姿は本当に“大物感”がただよっていました。

3人の食事ではいろいろな話をさせてもらいましたが、デビューを前に緊張するというよりは、今の自分の置かれた状況を存分に楽しんでいる感じでした。お父さんのほうが少し緊張気味だったかな?そして、デビュー戦。私も経験したことのないような大勢のマスコミとギャラリー。それになぜか?ゴルフ関係者(笑)が押しかけ大騒ぎの一週間となりました。結果は惜しくも予選落ちでしたが、これからの彼女の歩くプロゴルファーとしての第1歩を私のプロデュースするトーナメントで一緒に味わえたことは私にとっても思い出深いトーナメントとなりました。

今年から本格参戦した、アメリカツアーでも確実に成長を続け、悲願のUSLPGAツアー初優勝ももう目の前ではないでしょうか?全米女子オープンの会場では久々にあうことができ話もしましたが、非常に今の自分を楽しんで、そして成長している姿に父親のように?(笑)うれしくなりました。樋口久子(現 LPGA会長)さん以来のメジャー制覇も夢ではないでしょう。秋には帰国して国内のトーナメントにも出てくれるようです。みなさんもまた藍ちゃんのプレーを楽しみにしてあげてください。

2006年7月 4日 (火)|固定リンク

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