2013年4月 2日 (火)

我孫子ゴルフ倶楽部

1930年(昭和5年)開場の我孫子ゴルフ倶楽部が昨年初めからコースをクローズ。

10か月間をかけてコース改造を行いました。

我孫子は、日本のゴルフ場設計の草分けといえる、赤星六郎さんの手によって誕生したコースです。

私は、父親が我孫子ゴルフ倶楽部創立時のファウンダーメンバーのひとりだったことから、1961年(昭和36年)にメンバーになり、我孫子でゴルフを覚えたと言えますし、特別な愛着があります。

その我孫子が創立100年に向け、「より豊かな倶楽部ライフの醸成」と「存在感のあるコースへの改修」を目指し、1グリーン化の改造に踏み切りました。それも、10か月も閉鎖しての思い切った改造でした。

 

今回の改造に際して、一番の問題はリノベーター(改造・改修設計者)選定でした。

当然ですが、改造は新規設計のオリジナルデザインとは大きく違います。単に今の時代のゴルフに色褪せないよう“リモデル”するというのではなく、倶楽部側の思いを理解し、それを形にできる設計家でなければなりません。どんなに優れた設計家であっても、その個性が勝ちすぎてはいけないのです。

 

我孫子の場合は、何より赤星さんの造ったオリジナルのテイストを生かせるリノベーターが求められました。

赤星さんの設計には、彼のゴルフの原点であるパインハースト、そしてパインハーストNO.2の設計で著名なドナルド・ロスのクラシック(正統派)なテイストが宿っています。だから、我孫子のリノベーターは、ドナルド・ロスのテイストを継承できる設計家でなければならないと思いました。

 

設計家選びのリサーチを委託された私は、最終的に15人前後をリストアップし、時間を作っては、それぞれが手がけたコースを見て回りました。その中で最も適任と思われたのが、今回担当した、ブライアン・シルバでした。

最初に彼の手腕に着目したのは、カリフォルニア州パサディナにある1906年開場のアナンデールCCを見たときでした。

もともと、ウィリー・ワトソンとビル・ベルの手による名コースで、それを彼が近年リノベートしたのですが、見事なモダンクラシックに仕上がっており、メンバーによれば、想像以上の出来栄えにみんな大喜びしているようです。

実はそれより前に私は、彼のオリジナルデザインのコース、ボストン郊外のブラックロックCC(2002年開場)でプレーをしたことがありました。

新しいコースながら、モダンクラシックの落ち着きあるたたずまいに感心したものです。

 

改めて、彼の経歴や評価を調べると、オーガスタナショナルGCの近くにあり、ドナルド・ロスが設計した、オーガスタCCなどオールド&クラシックなコースを、そのテイストを壊すことなく、今に甦らせることで人気のリノベーターだったのです。

それゆえ倶楽部側も「適任」と判断し、交渉をすることになりました。

 

タイミングの良いことに、2008年の全米女子オープンの会場となった、ミネソタ州のインターラーケンCCもドナルド・ロスが手がけ、最近シルバがリノベートしたコースだったのです。

私は、テレビ中継の仕事で会場に行くので、面会を申し込みました。

電話では、「話を聞くのは構わないが、日本に行って仕事をするつもりはない。」というものでした。

それでも会って、こちらの思いを伝えることにし、冨田理事長も遠路合流して、面会当日を迎えることになりました。

ところが、約束の時間になってもシルバは現れず、私は彼の携帯に30回以上もメッセージを吹き込み待つことになってしまいました。

そして、ようやく現れたシルバは、心の底から恐縮し、「大事なミーティングに遅れて本当に申し訳ありません。」約束を失念したうえに、携帯電話を忘れていたようでした。

その結果、元来誠実な人柄の彼には、オファーを断る選択はなくなったようでした。

とにかく、一度現地を見てもらい、それで担当する気になったらプレゼンテーションを提出してほしいという我々の提案にその場で応じてくれました。

 

もともと彼は、現場で技術を身に付けたブルーカーラー育ちの設計家です。来日時には、空港からそのままコースに出られる服装で、とても気さくな人間でした。

もちろん、後日提出されたプレゼンテーションには理事会も納得し、改造を依頼することになりました。

その選択が正しかったことは、彼の仕事ぶりを見てすぐにわかりました。

著名な設計家には、“ファアマン”と呼ばれるスタッフが本人の代わりに現場を見て、ボスに報告するケースがありますが、彼の場合は、必ず自分で見て、しかも10か月の間に10数回も我孫子を訪れ、滞在中はほとんどの時間を現場で過ごしたのです。

そのシルバが、ひとつだけ我々に強く要求したのが、カイ・ゴールビーというシェイパー(実際に土を動かす造形担当者)と契約をしてもらいたいというものでした。

ゴールビーは、マスターズチャンピオンのボブ・ゴールビーの息子で、ウェイクフォレスト大学のゴルフ部出身ですが、途中からコース造りに興味を持ち、そして今や、トム・ドークなど著名な設計家からも指名される人気シェイパーとなっています。

シルバは「我孫子のシェイピングはどうしても彼にやってもらいたい。私のフィを削ってでもいいので・・・」と。

もちろん、彼のフィを削ることなく、ゴールビーと契約をしました。

これも大正解でした。シルバとは絶妙なコンビで、シルバの思い描いたイメージが彼の手により、難なく具現化される過程を目にし、感心させられました。

改造作業が終わった後、シルバは倶楽部側にこう言ってきました。

「リノベーターとして私の名前を出すときは、必ず彼の名前も一緒に出してほしい。」

 

我孫子の成功の一番の要因は、前述のように「自分の意匠に固執することなく、倶楽部側の思いを理解し、形にできるリノベーター」を選んだことでしょう。

 

シルバがアメリカの専門誌に寄せた文章を読むと、我孫子の改造は彼にとっても誇れる仕事であり、現場はとても良い関係が築けたようでした。

彼と信頼関係を築きながら作業を進めた現場スタッフと倶楽部側の姿勢もまた、成功の大きな要因だったのでしょう。

 

最後に今回の改造に対する個人的な思いとしては、80余年前、赤星六郎さんがコース造りに当たったとき、私の父親もその過程を間近に見て、習うことも多かったに違いありません。

その赤星さんの原点がドナルド・ロスであり、そのドナルド・ロスの設計哲学を熟知し、継承するブライアン・シルバが我孫子に新たな息吹を吹き込んだとすれば、彼の招聘に一役買えたことは、私にとっては大きな喜びであり、父親にも良い報告ができるというものです。

そして、私自身も彼のコース歩きの全行程に同行できたことで、学んだことも多く、とても楽しく、素晴らしい思い出となりました。

 

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